自然の生命と日本人 ~国土と宗教・信仰…民俗学の視点から~

日本の自然・国土と宗教観・信仰について、延喜式、風土記等編纂資料のほか、地域の民俗学資料、各種民俗学文献から考察します。フィールドワークの記録も。

自然の中の安全 ~登山者の技術を学ぶ~

自分は、フィールドワークで山に入ることはあれど、登山家であったり登山者であるわけではない。だが登山家の著作や、登山者向けの著作に、よく目を通している。また、登山者の友人から話を聞き、直接、山行の技術を手ほどきしてもらっている。実際フィールドワークに入るときにもこれらの情報を参考に準備する。山行をする人たちは自然に対する感受性なみなみならぬものがあり、また、自ら/仲間の生命・身体に対する責任意識が、一般の人より格段に高いと感じる(個人差はあるだろうが)。

 

最近手ほどきしてもらっているのが、読図の技術だ。友人に基礎から教えてもらっている。地図記号を覚えることと、コンパスの使い方を練習している。まずは、地形図を見ながら、谷や尾根、沢など、図から読み取った情報を書き込んでいく。その後、友人とともに、入山・入渓し、コンパスと地形図を見ながら、自分が読図した情報と対照し、山行をする。非常に難しいなと思う反面、こういった技術を習得することで、よりいっそう、自然と人間の関わりに思いを馳せることができるように思う。地道な積み重ねが、自分の精神を強くしてくれる。

 

以前、こんなことがあった。

ある渓谷の、ちょっとした斜面をのぼった(低い斜面)。念のためと、友人が目印に短いロープを張り、写真を撮るために斜面から尾根を越えていった。私は数分、友人の後を歩いたが、自分には無理があると思ったので、「さっきのロープを目印に、先に降りている」と伝えた。安全な道なので、友人はOKをくれた。

私は早速、ロープに戻ろうとしたが、ほんの数メートル手前にあるはずのロープが見当たらない。「誰かがロープを外してしまったのだろうか?」混乱しながら、「登ったはずの」斜面を、滑るようにして降りた。

降りた後、周囲を眺めると、私が降りてきた斜面は登ってきた斜面とちがっており、数メートル横にロープはぶらさがっていた。ほんの数メートルでも、自然の中にいるとこんなに道に迷ってしまうのだと、体験した出来事だった。(友人は全く迷わず帰ってきた)

自然の中で安全に目的を遂行するには、冷静さと、技術が不可欠だと、その時、あらためて思い、友人に「弟子入り」したような感じで、今も勉強を続けている。