自然の生命と日本人 ~国土と宗教・信仰…民俗学の視点から~

日本の自然・国土と宗教観・信仰について、延喜式、風土記等編纂資料のほか、地域の民俗学資料、各種民俗学文献から考察します。フィールドワークの記録も。

供物の変遷

日本で、ダム技術が発達するまで根深く残っていた(昭和初期まであったという説もある)と言われる風習、「人柱」の風習がある。川の氾濫や、うまく橋がかからない時、人を捧げる。例えば高木俊雄の『日本伝説集』には、以下の様な人柱伝が記載されている。

 

>一言の宮

或る年のこと、洪水で此堤が破れて、水がどうしても止まらず、畳を何十枚入れても少しも役に立たないので、所の者が困っていると、子を負って通りかかった一人の女があった。それを見て、「人柱に立てて仕舞え」と一人が言い出すと、早速皆の者が「そうだ、それがよい」と云って、其女を捕えて、無理に破れた場所へ投げ込んで了った。其の時に女が、「頼む」とか、「助けてくれ」、とか一言云ったそうだ。人柱の御蔭で、不思議にも水が止まった。後で、村の者が女を不憫に思って、宮を建てて祀ったのが、一言の宮である。(埼玉県北埼玉郡)

 

この話の恐ろしいところは、偶然通りかかった女性を無慈悲に人柱として川へ投げ込み、その時に共にいたものは皆それに賛同していた部分だ。

人柱という言葉の語源には、2つの解釈があって、ひとつは、「神をヒトハシラ、フタハシラと数えるように、捧げ物になった人も神としてハシラと数えた」という説と、「物理的な柱として人を供えることで安全が促進されたり建物が強くなるという俗信に基づく」というものだ。

先述の一言の宮の伝を読むと、この夫人を神のように村人が扱い捧げたとはとても思えず、この場合には人を捧げ立てることで、土地や河川がしずまったり、橋が強くなったりするという俗信に基づいた風習に思える。しかし実際に、神として人柱を尊んだ場合もあるだろう。

 

日本においては、人身御供・動物等の生贄は頻繁に行われていた。宮本常一は、神に捧げる酒もかつては血であったとも論じている。稲作の発展がこういった血の供物から日本人をある程度開放したという。往々に、過つては雨乞いに生き馬を捧げたり、日本の土着的信仰には、血なまぐさい側面がある。高木俊雄は、日本人にとって、「人間社会の発展は、神の領分を侵害するものである」という発想があり、そのため時に人命を捧げることで神の怒りをしずめることができると信じられた部分があるという旨を論じている。

「白羽の矢が立つ」の諺もあるように、人柱に立つことを名誉と考え、末々までその家系が集落で優遇される場合もあり、古来日本人は神を森羅万象生命を超越した畏怖畏敬対象として畏れ奉ってきた。

 

現代、日本は「無宗教」の国と論される場合が多いが、私にはとてもそのように思えず、むしろ常に神を畏れ神の目を気にしつづけている民族のように思える。それは現代人の深層意識にも根ざしていると感じる。

生贄、人柱の風習は悲しむべきものであり、人の大きな過ちの一つであるが、日本人が他民族同様、いや、それ以上に、いかに超自然的な霊性を備え重視した民族であるかを顕著に示す一例であるとも言えるだろう。