自然の生命と日本人 ~国土と宗教・信仰…民俗学の視点から~

日本の自然・国土と宗教観・信仰について、延喜式、風土記等編纂資料のほか、地域の民俗学資料、各種民俗学文献から考察します。フィールドワークの記録も。

秦氏考(2)

日ユ同祖論において秦氏はイスラエル系(ユダヤ教を信仰している)の渡来民であるとしばしば論じられる。日本ーイスラエルとの関連を示すのは先述したミハシラ鳥居―バプテスマもそうだが、特に京の土地において様々な秦氏ーイスラエル指摘が行われている。かなり数が多く、インターネットでも検索すれば様々な論を目にすることができる。

 

例えば、秦氏の神社京都大酒神社がある。同じ秦氏の神社で、兵庫に「大避神社」という神社がある。これは同じ縁起と見ていいだろう。「大酒神社」=「大避神社」となる。

そして景教においてはダビデのことを漢字で「大闢」と書く。この闢の文字から「門がまえ」を外せば避になる。即ち、「大酒神社」=「大避神社」=「大闢神社」、ダビデを祭る神社であることが推測される。

 

大酒神社の由緒には以下のように書かれている。

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当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社 (元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(三五六 年)皇帝十四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、日本朝 の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。 これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生れた。(中略)

機織のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国に輸入 するに力め、農耕、造酒、土木、管絋、工匠等産業発達に 大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。 (中略)尚、六〇三年広隆寺建立者 秦河勝は酒公の六代目の孫。又、大宝元年(七〇一年)子孫秦忌寸都理が松尾大社を 創立、和銅四年(七一三年)秦伊呂具が伏見稲荷大社を建 立した。古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国 に文明文化の発展に貢献した。秦氏族の祖神である。

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大陸ー朝鮮半島での戦乱から逃れたイスラエル系の民族が日本へ避難・渡来し、彼らの信仰をひっそりと継承しながら、大陸文化を日本に示しその力をもって地位を確立し、定住していった。その民が秦氏であるいうと仮説も多く見る。

 

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